クルーガー様はすばるのヒーローですの
小学校の頃のヒーロー、と言えば足の速い子だった。徒競走ではトップ。運動会でのリレーのアンカーでは、前のやつらをごぼう抜き!な姿は、まさに身近にいるヒーローだった。
これが僕ら世代の小学校高学年から中学校にかけてファミコンが普及し始めると、ヒーローの形が急速に入れ替わる。
「連射の早いヤツ」
がヒーローの時代が来たのだ。
当時はファミコン全盛期。ハドソン社製の「スターフォース」「スターソルジャー」と言った、連射シューティングゲームが子供達の視線を一新に浴びていました。そして16連射の高橋名人の登場で、一気に連射が大ブレイクしました。
連射測定メカ「シュウォッチ」が爆発的に売れ、世の中のファミコンユーザーはこぞって「指ケイレン」と言われる連射をマスターしようと、授業中も連射の練習に勤しみました。
僕はそんな指ケイレンが当時苦手で、人差し指と中指で交互にボタンを叩く「ピアノ連打」に逃げました。それでも全盛期は秒間17発を越えましたので、努力の成果があったと言うものです。
指ケイレンが得意な人を分布すると、瞬間的な連射が得意な人と、継続して連射するのが得意な人、の2タイプに分けられます。やはりうらやましいのは継続型。人によっては、セガマークIIIの「ファンタジーゾーン」で7WAY無制限技を使用し、ブイブイ言わせたりしてました。
さて。
TWINZ後、特にやるゲームもないのでファミコンで遊んでおりました。そんな中、突然僕の中にフラッシュバックが起きました。
「連射が早くなりたい」
その思いを実現するため、スターソルジャーを開始しました。しかし、昔出来なかったものが今突然出来るわけもありません。僕の指ケイレン連射はシュウオッチ測定で9発前後。ラザロに押しつぶされる日々が続きました。
そんなある日、うちに遊びに来た友人が悩める僕にアドバイスをくれました。
「脇を締めないと連射はできない」
はあっ!
確かに僕の連射状態は、だらしなく脇が開いていました。これでは連射はおろか、野球のティーバッティングもうまく出来ません。そういえば、原選手(当時)もリトル巨人君に
「バッティングは脇が開いてちゃダメだ」
と言い放ち、脇の下にお皿を挟ませてバッティング練習をさせていました。
そこで僕は友人の指導どおり、脇を締めてシュウォッチを連射してみた。するとスコアは103まで伸びた。秒間10連射だ。こんなことに18年近い時間、気がついていなかったのか! 僕は研究不足な、自分自身を恥じた。
さらに僕はパワーアップするため、文献を漁ってみた。ちょうどファミ通800号に、高橋名人の連射姿勢が写真込みで掲載されていたのだ。誌面には『丹田に込めた力を一気に爆発させ、右腕に集中させる』と書いてあった。誰がこの企画を通したのか知らないが、僕はその記事を信じることにした。
こう見えても僕は『挌闘家』としての姿も併せ持つ男。その量は微量ながらも、『氣』を練ることは十分可能だ。正座し呼吸を整え、意識を丹田に集中させる。その視界は極めてクリアだ。そして連射開始。カタカタと規則的な音を立てながら、カウンターが上がっていく。そしてスコアは「121」を記録した。秒間12発の連射が炸裂した。自己最高記録だ。
僕はその勢いに乗って、スターソルジャーをプレイしてみた。テレビのスピーカから奏でられる連射音は、規則的かつすばやく感じられた。そして、念願のラザロ撃破。デライラボーナスもゲット。これはいける! そう確信した僕は、2分間のスコアアタックに挑戦した。スコアは333000点を記録。自己新記録だ。
ここで当時の記録が気になった僕は、映像資料を取り出した。ファミコン20周年記念DVDに納められている「高橋名人vs毛利名人」の映画だ。この映画の中で高橋名人は339200点、毛利名人は342200点を記録している。映像の中で「真のファミコン世界一決定戦」と言うナレーションが流れるため、このスコアは当時の「グローバルスタンダード」と言っても過言ではないのだろう。
今後はこのスコアを目指した戦いが、僕の中で繰り広げられていくことであろう。しかしその前には、大きな障害が立ちふさがる。今回脇を締めて連射するようになって気が付いた、致命的な僕の弱点が一つあるのだ。
リバウンドしたから、二の腕と脇の下の肉が当たって邪魔!
と言う事だ。まさか連射の練習をはじめて、太ったからだがネックになるとは思わなかった。ならばやせるしかあるまい。じっちゃんの名にかけて。
一句できた。
最近の武装錬金の掲載位置が大変怖い。
だから、96.2kg
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