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2005年7月11日 (月)

追悼 橋本真也殿

正直なところ、僕はその選手があまり好きではなかった。

団体のエースとしては丸っこい体型、あまり上手ではないグラウンドテクニック、何より、僕の好きなプロレスラーを、ボッコボコに蹴り倒すその姿。僕にとっての彼は、「敵」である期間のほうが長かった。

だがしかし。
敵対するその選手の姿を見ていた期間の、なんと長いことか。結局のところ僕は、敵としてみていたその選手の強さを、認めたくなかっただけ。90年代のプロレス界において、彼の力強さは他のレスラーから抜きん出ていた。その力溢れる蹴り技、重さ十分の打撃技は、プロレスラーの強さを十二分に知らしめていた。

破壊王・橋本真也選手、逝去。享年40歳。

あまりにも若すぎる、早すぎる死。
同年代の武藤も蝶野も三沢も川田も、いまだ現役。一世代前の長州力、天龍源一郎でさえもリングで試合をしているのに、それはないだろう、橋本!

04年に長期欠場の元となった痛めた右肩手術を行い、最近はリハビリ中だった。恐らく復帰の舞台は、新日本プロレスのリングで蝶野と組んで、若手をバッタバッタと蹴り倒す。そんな姿を思っていた。しかし、あまりにも非情な結末。第一報を聞いたとき、僕は全身の血の気が引いた。

橋本選手は強かったが、僕個人の意見では、負け試合のほうが印象に残っている。

トニーホームに異種格闘技で負けた試合。
GIクライマックス1回戦で、馳浩に負けた試合。
IWGP戦で、藤波にグラウンドコブラで負けた試合。
IWGPのV10をかけて、武藤に負けた試合。
柔道王・小川直也に負けた試合。
ZERO-ONE旗揚戦で、三沢・秋山組に負けた試合。

手元にある、橋本選手表紙の週刊プロレスを、ざっと取り出してみたが、

hasimoto

やっぱり、負けた表紙のほうが多い。
ただ、負けながらも表紙を獲得し、印象深い試合をしたのは、橋本選手のほうだったと言えよう。

僕は初代タイガーマスクでプロレスにはまった世代だが、もっとも熱中してみていたのは、橋本選手を初めとする闘魂三銃士と、全日本プロレス四天王の時代。その、自分と近しい世代の、デビュー直後の若手の頃から見てきた選手が亡くなるというのは、悲しさを飛び越して、ただひたすらに辛い。不意打ちだっただけに、なおさら辛い。

橋本真也選手の早過ぎるご冥福を、心からお祈り致します。
願わくば、天国のリングで「爆勝宣言」が鳴り響かんことを。


追悼の意をこめ、blogデザインを喪に服しております。

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コメント

残念。無念。。。

投稿: 暁 | 2005年7月12日 (火) 01:49

リングの魂での楽しそうな表情とか
父親と対面した時のある種冷めた表情とかが
・・忘れられません。。

投稿: 卍 | 2005年7月12日 (火) 19:13

コメント感謝。

投稿: きめん | 2005年7月13日 (水) 23:51

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