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2005年9月29日 (木)

業務連絡のみ

地獄の決算進行中。まだ会社。
明日はキャロット行ける予定だったけど、急に仕事が入り行けるか微妙。こんな仕事から、早く足を洗いたいです。
僕のファンのみなさんは、待っていて下さい。

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2005年9月27日 (火)

さちは改変乗り越えて幸あり

もう語られる機会もほとんどなくなりましたが、昨年行った企画「スターソルジャーキャラバン」の中で、一部の方より大絶賛を受けた、秋田夜の「ラジオキャラバン」での番組、

「祥子のチョット・CHAT・CHAT」

ですが、今月の改変期をまたも乗り越え、10年目後半へ突入いたしました。

一応秋田放送のHPで確認したところ、

sachi

秋田放送も不動の時間帯にて、継続決定のようです。

で。

実は前回の放送が「497回」で、500回放送まで「あと3週」なんですね。
なので、今週くらいにメールを出したら、500回記念で読んでもらえる、かもね。

さあ、決着をつけようかぁ!

明日は5時起きで出張なので、夜はいません。
ご了承ください。

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2005年9月26日 (月)

せめて来年まで田尾監督じゃないのかなあ

昨日9/25で、今年のフルスタ宮城の全カードが終了しました。
ライブドアと楽天が仙台進出で争い、杜の都にプロ野球チームが出来て、もうそんなに経つんですね。

開幕前、ほとんどの野球解説者が「シーズン100敗」と言う中、何とか95敗でふんばっているわけですが、はなから予想の付いていた戦力に対して、「成績不振」で田尾監督を、3年契約の途中で切っちゃうのはどうなんだろう?

正直、ちょっと楽天ファンに成りかけていた。かなりグラっと来ていた。
でも、今回の解任で、またちょっと心が離れちゃった。残念。

楽天は言わずと知れた、IT企業。
スピード経営が売り物だし、常に変化を求める会社です。三木谷社長は、自分が信じたやり方でやってきたからこそ、ここまで楽天を大きく出来たんでしょうが、でも、同じく支援している「ヴィッセル神戸」さんの監督を今年は2回交代して、結局低迷してるし、ダメなら途中でも即交代、って言うのは時と場合にもよると思うが、いかがなものか?

次期監督には、元・ヤクルトの野村監督の名前が挙がっているが、三木谷オーナーは知っているのだろうか?
ヤクルト就任1年目は、5位だったことを。阪神就任3年間は、ずっと最下位だったことを。両チームとも、その後優勝し、選手育成に定評があるのが野村監督だが、1年で切ったら両チームともそうはなっていないだろう。

今野球界の盟主と言っても過言ではないホークスだが、就任初期の王監督が低迷が続いた時期に、ファンから生卵を投げつけられたことを、三木谷オーナーは知っているだろうか?
その王監督を必死にかばっていたのが、先日亡くなった元・ダイエー社長中内オーナーだった。

停滞するのは良くないが、変化ばかり求めては、足元が固まらないんじゃないかと心配する。

そして何より。
「仙台よりも、他の都市の方が集客があるから」
と、早々にプロ野球チームを撤退させてしまいそうなIT企業的戦略が今後起こらないか、とても恐ろしい。

かつてのロッテオリオンズのように、杜の都のボールパークが、御伽噺にならないように願う。

何より、カラスコいなくなったら淋しいしな。

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2005年9月25日 (日)

英会話の話題を久しぶりに

earth12

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最近出していなかったので、英会話の話題。

英会話教室に入学して、早半年くらい。
「仕事が忙しい」と言う理由を口実に、予習、復習を怠り、あまり成長の後が見えない、きめんぐみ。
定期的に行われる、教室の先生との面談においても、やはりそのあたりを指摘されてしまいました。

「きめんさんは、単語力とヒアリングは優れていますが、どの先生も「文法に難あり」と言うことで一致してますね~」

見解が一致するほど、文法が壊滅的にダメらしい。
反対に単語力とヒアリングは、そこそこ高いんだとか。

単語力は、何となく理由が分かりますね。
機械修理の関係上、普段から、「ERROR」 「MOTOR」 「SENSOR」などを使用していますし、ゲームで遊んでいると、「SOLDIER」 「FIGHT」 「MEMORIAL」などの単語が目に入りますし、プロレスを見ていると、「AXE BOMBER」 「DANGEROUS BACK DROP」 なんて単語が頻繁に出ますから。

まあ、そんな感じで自己分析しつつレッスン。

その日は、レッスン中にたまたま「地震」が起こりました。
生徒さんがそれに気付き、眼で合図をくれました。生徒間に広がる動揺。先生が「What?」と言う感じの目線を、こちらに送ります。

先生に、危険を知らせなければなりません。
僕は先生に、言いました。

「Hey,Earthquake! Earthquake,Now!」

とっさに文法が浮かばなかった僕は、とりあえず「Earthquake」とだけ伝え、後は体全体で揺れるゼスチャーで、先生にアピールしました。

先生は周りを見渡し、生徒以上に動揺を始めました。
考えてみれば、宮城県民は地震に慣れっこですが、カナダやイギリスやアメリカなどからこちらへ来ている先生方には、地震は慣れないものなのでしょう。

危険を事前に察知し、先生に伝えることが出来た。
これが、英会話レッスンの効果と言えよう。勉強の甲斐があった。

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2005年9月24日 (土)

J2/このセンスは好きだ。売れるかは別として

「商品開発」と言うのは、どの業界においても大変なことだろう。
企画を考え、リサーチし、販売する。さらにそこでまた売れる、売れないと言う選択肢も出てくる。やりがいはありそうだが、正直しんどそうでもある。

今時期になっても、サポーター向け新商品を発売する、我らがベガルタ仙台。
1年を通じて時期を買えて商品を販売するのは、スタジアムに足を運ぶお客様を飽きさせないと言う意味でも、大きな効果があると思います。
そんな中、ベガルタサポーターを驚愕させた新商品がこれ!

2005-8-23-09-26-40_2

ベガッ太帽子!
まんまじゃー!!

ファン感謝祭で評判が良かったので、商品化したみたいですけどね。
公式HP曰く、
「生地が厚めとなっているため、これから寒い時期に防寒用としても最適です」
ってことだけど、1万9千人がこれ被ってる画は、ちょっと怖いなぁ。

さすがの僕も、これは買えませんでしたね。
顔大きいと、似合いそうも無いですし。それでも今日のスタジアムには、

begacap

こんな格好の方が結構いらっしゃいました。
得点が入った時などに飛び跳ねると、帽子の両手が、「\|/」「/|\」と上下するのが、後ろから見ていて楽しかったです。

さて、先週ザスパ草津さんに勝ち、今日の試合も湘南ベルマーレさんに勝って、3連勝。順位も、

1.京都 72
2.福岡 58
3.山形 50
4.甲府 49
5.仙台 47
6.札幌 46

と5位に浮上。3位への勝ち点差も3に縮まりました。

優勝へのマジックは、6減って「M39」
残留への裏マジックは、変動無く「M2」

「裏マジック貯金」は、変わらず4万4000円のままです。

ギリギリのところでふんばって、次節から勝負の第4クール、4回り目に突入です。
昨年の大宮さんのように、「第4クール無敗」なんて奇跡が起きると、負けじと奇跡が起こるかもしれませんよ?

結局、奇跡待ちだけど。

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2005年9月22日 (木)

オフ会告知/さようならプレイシティキャロット仙台

今日はオフ会の告知です。
前半のほとんどが、ジュッテイム邸さんからのコピペです。ごめんなさい。

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2005年9月30日(金)をもって,仙台市青葉区中央にある「プリッズ仙台店」が閉店します。
当日「プリッズ仙台店」に集結し,別れを惜しんだり,昔を懐かしんだり,適当に遊びながら閉店まで粘ります。そんなオフです。

以下詳細

▼日程:
 9/30(金)
▼時間:
 開始時間は各自の暇な時から閉店(23時ごろ?)まで
▼参加資格:
 「プリッズ仙台店」というよりも「キャロット仙台店」の方がピンとくる人
▼やるかもしれないこと:
 1)「あーこの辺でキャロットドッグ売ってたよね」とか「この辺にファイナルラップ並んでたよなー」とか言いながら,各自の脳内MAPをもとに店内を散策する。
 2)閉店時間に合わせ,ゼビ語でカウントダウン。
 3)閉店時に「ナムココール」を送る。
 4)店の外に追い出されたらワンダーモモの歌(サビのみ)を合唱。
 5)各自持ち寄ったナムコグッズをつまみに適当な店で呑む。
▼注意事項:
 大人の良識で遊びましょう。
 我々が勝手にオフをしているだけなので,参加されない方も当然「プリッズ仙台店」で遊んで構わないですよ。

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3)の閉店時のコールは「キャロット!」でも可。
それ以外に「ホッピングマッピー!」とか「S.D.I.!」とか、昔このお店ではまってたゲーム名を、思い思いに叫ぶのも良いかも。
まあ、何にせよ、お店に迷惑をかけない範囲です。

5)の「ナムコグッズ」ですが、さすがに当時の下敷きとかポスターはありません。が、一応「NG」が20冊くらいありました。

ng

画像は、僕の手持ちでは一番古い「87年1月号」です。
月間化してからだからそんなに珍しくないかも。特集は「ドラゴンバスター(FC)」「ローリングサンダー(AC)」「3DサンダーセプターII」でした。こう言うのを肴に呑む予定。

問題は!

当日9/30は、会社的に「半期決算末」で「週末」なこと。
もしかしたら当日の営業時間にお店にたどり着けないかも。もちろん、調整はがんばりますが。

このオフの告知見てふと思ったんですが。
なんか、皮ジャン着たおっちゃん達がバイクで昔からの行き付けの店に全米から集って、1日中ロックを聴きながら盛り上がる、と言うのに似てるなぁと。

思い出を大事にし、時代が変わってもいいものを愛するのは、ロックの世界もゲームの世界も一緒。
違うのは、歌うのが「ロック」か「ワンダーモモ」か、ただそれだけだ。

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2005年9月21日 (水)

「夢バトン」ってもう訳分かんない

バトンシリーズが嫌いなので、受け取っては毎回ボッキボキに叩き折って来ましたが、それでも来るのは何故? と思っていたら、きまらオーナーさんが、こんなことを言っていました。

> そこで、バトンを葬る達人。
> バトンの墓堀請負人。
> バトン・ジ・エンダーテイカーの異名(勝手に言ってます)をとるきめんさん に処分を依頼しようかと思います。

勝手に変な名称をつけるなぁ!
僕は手の平から稲妻を出して、実況席を爆破したりしない!

まあ、彼との共通点は「ツームストンパイルドライバー萌え」位かな。

【1.小さい頃何になりたかった?】

プロ野球選手。
男の子ですから、当然です。
でも「子供やきゅう百科」みたいなのに載ってた、元巨人のショート河埜選手のインタビューで、
「中学校の頃はリストを強くしようとして、バレーボール部に入った」
って話を鵜呑みにして、僕も中学時代にバレー部に入りましたが、高校で野球部に入らなかったので、全く無意味でした。

なにより、河埜選手のファンでもなんでもないもの。
なんで真に受けたんだろうなぁ。


【2.問い1の夢は叶いましたか?】

いや?


【3.現在の夢は?】

諸星あたるさんの妄想のように、美女を多数はべらして生活してみたい。
多分生活費がすぐに尽きるだろうなぁ、と考えてしまうのがすでに夢ではないな。

現実的には、今の会社を辞めて、のんびり生活すること。
休日出勤、クソ喰らえ。


【4.宝くじで3億円当たったらどうしますか?(熱く語ってください)】

なんだ「熱く」ってのは?
僕みたいな「クール」で「クレバー」な人には答えにくいじゃないか。

5000万円を、ベガルタ仙台に寄付!
そして来期のユニフォームの袖口に、「きめんぐみ」って入れてもらう。もしくは「まんが・MANGA・MANGA」って入れてもらう。そしてそのレプリカユニフォームを、1万2000円でゼビオで買う。

5000万円を、親にやる!
前に「あんたマンション買わないの?」って言ってたから、そういう生活したいだろうし。つーか、マンションの頭金くらいあるけど、親とずっと同居になるじゃん、それじゃ。ヤですよ。

100万円で、焼肉とうまい酒とマイクロダイエットを買う!
肉食いてぇ~、肉ぅ~。カルビ~、ユッケ~、ジンギスカ~ン~。
なんで晩飯が毎日、「納豆とノンオイルシーチキン」なのか、自分でも疑問。なので焼肉たらふく食べて酒飲んで、マイクロダイエットで一気に勝負。

残りは貯金。しょせんあぶく銭。


【5.あなたにとって夢のような世界とは、どんなものですか?】

幼馴染が学園のアイドル
幼少時に別れた女の子と、高校入学して出会う
居候した家に、同級生の女の子がいた
タイヤキを食い逃げした子と、街中でぶつかる
「創作」ジャンルで出展したら、となりのスペースにとてもかわいい女の子がいた
桜の咲く公園で軍隊の迎えを待っていたら、来たのが女の子だった
きっつい性格の女子委員長が、自分にだけは優しい
空から女の子が降ってきた
奥様は魔女だった
双子の弟と隣の家の女の子との三角関係
電車の中で絡まれている女性を助ける

などと言う世界に興味は無く。

「ベガルタ仙台、鹿島アントラーズを破り、J1初優勝ぉーー!!!」
と言う場面を、生で見ること。


【6.昨晩見た夢は何ですか?】

昨日は見なかった。数日前に見た夢は、
「ズモレvs優美の決勝戦のエンコードが終わり、配信できたぜ。見てくれたお客さんの反応も好評だ、やったぜ!」 と言うところで起きた。
現実には、エンコード途中でパソコンがフリーズしていた。


【7.この人の夢を聞いてみたいという4人は?】

無。
夢バトンにツームストン。

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2005年9月20日 (火)

メガネっこ大ピンチ

昔どこかで読んだ話だが、森やジャングルなどに迷い込んだとき、もしメガネをかけている人がメガネを壊してしまったら? 親指と人差し指で小さな丸を作り、そこを覗けば焦点が合うので、それで切り抜けるんだそうだ。ピンホールカメラの応用ですね。同様に、5円玉の穴を巧く使っても、同じ効果があるそうな。

で。

今日仕事中に、僕のメガネが壊れてしまった。

grass

メガネのツルの根元から、ぽっきりと折れてしまいました。
この手の「おしゃれメガネ」は、デザインは良いんですが、強度に問題があるのが難。この部分が折れるのはこれで2度目です。

ところで、今日の現場は福島県。
仕事が終わる頃には、すっかり真っ暗です。夏至から3ヶ月。冬が近づいてきていることを感じさせます。

なので。

視力0.01以下の男が、夜に、片手で小さい丸を作ったり、5円玉を覗いたりしながら、高速道路を運転すると、本っ当に危険だから、良い子はマネをしちゃダメだぞ!

片手な上、視野も異常に狭いもの。
死ぬところでしたよ。

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2005年9月19日 (月)

ノア9・18武道館G+観戦記っつーか三沢さん

プロレスという競技は奥深いゆえ、困ったことに
「10年やって一人前」」
というような風潮がある。

プロスポーツとして10年もやったら、普通「引退」が見えてくる世代。その年代でようやく一人前といわれるのは、因果な世界である。

で、三沢光晴さん。
全日本プロレスで昭和56年にデビューした、今はノアの社長さん。巨人の監督騒動で騒がれてる、原辰則さんが昭和56年入団なので、三沢さんのプロレスキャリアがどれだけのものかを感じさせます。

同時に、プロレスファンにとって三沢さんは、
「タイトルのかかったシングルマッチに異常に強い」
人として、知られています。
それもそのはず。
スタン・ハンセンさんを破り、初の三冠ヘビー級についてから13年間、
「挑戦者として挑んだ試合で負けたことがない」
のです。
困ったほど強く、反面ここ一番に頼れるお方。それが三沢さん。

だったのですが。

9・18日本武道館で行われた、チャンピオン・力皇猛さんに挑んだ試合で、王者の猛攻を受け、三沢さんは負けてしまいました。13年ぶりに味わう屈辱。

もう数年前から、三沢さんの衰えは指摘されてまして。
ジャイアントグラム(GG2000)で見せるような華麗な飛び技は年々減り、動きもスピーディーでは無く、社長業の忙しさからかお腹もだいぶしんどくなっていました。

なので今回の試合は、「まだこれだけ出来る」と言うことを見せ付けて欲しかったのですが、残念ながら三沢さんは負けてしまいました。
まあ、力皇さんの怒涛の攻めも素晴らしかったので、仕方ないとも思うのですが、GG2000的な言い方の
「リバーサル」
でほとんど技を切り返さずに負けてしまったことに、物足りなさと切なさを感じてしまいました。

プロレス界に新しい時代が来るのは素敵なことなのですが、なんとも淋しいですねぇ。
勝負の世界の厳しさなので、当然ですが。

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2005年9月17日 (土)

ゲームボーイmicro登場の巻

マンガ「るろうに剣心」の中で、斉藤一さんが宇水さんと戦っている際、宇水さんの「心眼」による読みに対し、斉藤さんはこう言い放った。

「俺の心眼も見せてやろう。ただし俺のは、修羅場をくぐりぬけた一流の剣客だけが持つ、読みというか洞察力だ」

一つの物事を極めんとした者には、それを瞬時に見極める「洞察力」と言う名の「心眼」が、身につくわけです。

さて。

任天堂から「ゲームボーイmicro」が発表になった際、僕は一つの懸念を覚えました。
「小さすぎる」
子供向けな為か、大きさも画面もかなり小さい。ぶっちゃけ、大人には操作しにくい代物になるのではないか? そう思った僕は、GBA-SP、ニンテンドーDSを持っている関係からも、microを購入する気はありませんでした。
一流ではありませんが、ファミコン以前からテレビゲームを遊んでいる、僕なりの「心眼」です。

しかし、そこに任天堂からの刺客がやってきました。
「ゲームボーイmicro ファミコンバージョン」
卑怯だ。卑怯すぎる。
ファミコン世代にこういうアイテムをぶつける任天堂商法。ちくしょう、うまいじゃねーか!

結局、自分の「心眼」を無視して、ファミコンバージョン買っちゃいました。
それがようやく届きました。いやあ、ちっちゃい!
どれくらい小さいかと言うと、

miciro1

このくらい。
ビジュアルメモリを2個つなげると、

micro2

ビジメモの方が大きいくらいの、microの小ささ。
画面もビジメモよりもちょっと大きいくらいです。

さあ、早速スーパーマリオをスタート!

…見づらい…。

やっぱり「心眼」通りでしたよ。
画面ちっさ過ぎて、見にくいっす。解像度はさすがに細かいけど、ちょっとなぁ。しかも僕はコントローラを持つとき、ひじを身体にピッタリつけてプレイするので、このスタイルでmicroをやると、首が90度真下に曲がるので、首がこっていけない。

加えて、同時に買った「スーパーロボット対戦J」は、文字が読みにくくて、遊びにくい。っつーか、「J」は正直面白くない! Wショックです。
これも正直「心眼」で、
「つまらない気がする」
と思ったのですが、「スパロボMX」を終えた勢いで行ったら、返り討ちにあいました。勘は鈍いけど、「心眼」は結構働くなぁ。
って言うか、
「ダメだと思ってて行くなよ! お前は新日本プロレスのPPVを勢いで買っちゃった人か!」
って、会社の同僚に怒られました。

ちなみに「micro」ですが、操作性は「GBA-SP」よりも上、だと思います。
特に十字キーの押しの良さは、ファミコンのコントローラに近いと思います。

さ、パネポンやろ。

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2005年9月15日 (木)

J2/ベガルタポイしてごめんな

9/10にベガルタ仙台は、AWAYで水戸ホーリーホックさんと対戦しました。
そのとき僕は、ライフワークのベガルタ戦ラジオ中継も聞かず、DDT福島大会に車を走らせていました。
ほら、何せDDTは年に1度ですから。

ベガルタなんてポイッ。

とまでは言いませんが、今回ばかりはDDTを優先させて頂きました。
なので試合は見てないし、聞いてないし、コメントしづらいんですが、水戸さんに 2-0 で勝ったようです。内容はともかく。

ところで、都並監督さんよぉ。
いくら最近、サポーターからいじられる機会が多いとは言え、記者会見で

「アウェイで久しぶりに囲まれずに帰れるなと(笑)」

なんて事は、言っちゃあいけませんぜ。
しかも「(笑)」って。「かっこわらい」って。笑えないってば。

優勝へのマジックは、3減って「M45」
残留への裏マジックは、変動無く「M2」

「裏マジック貯金」は、4万4000円のままです。

ところで、今年も混戦のJ2ですが、ベガルタにもまだまだチャンスはあります。勝ち点差が、

1.京都 68
2.福岡 54
----とても厚く高い壁----
3.山形 47
4.甲府 47
5.札幌 46
6.仙台 41
7.鳥栖 39
8.湘南 38

ですから。
J2で3位になれば、J1の16位チームと入れ替え戦ですからね。
2勝すればその圏内に入ることが可能ですし、まだまだ諦めてはいけません。応援あるのみ。

1回負けたら、8位まで落ちる可能性があることは、絶対に内緒だ。

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2005年9月14日 (水)

プレイシティキャロット仙台店閉店

今はキャロットじゃなくて、プリッズですが。
友人の掲示板に貼らせてもらってましたが、仙台駅前のナムコロケ「プリッズ仙台店」が、再開発に伴うビルの立替で、このたび閉店することとなりました。

intro1 pritz

前身のキャロット仙台店は、僕が初めて行った「ゲームコーナー」じゃない、「ゲームセンター」でした。
80年代中頃は、セガの営業所は仙台にはまだ無く、仙台市内の主なゲームセンターは、ナムコかタイトーでした。その中でもこの「プレイシティキャロット仙台店」は、ビデオゲーム全盛と重なり、山のような思い出があります。

昨日、寝る前に布団の中でいろいろ思い出していたら、寝られなくなったので、思い出したのを覚えているだけ羅列します。

・昔はスポーツ用品店と同じ敷地だった。
・キャロットドッグは、具は少なかったが美味しかった。
・ナムコグッズ売り場で、よく下敷きを買った。
・でもポスターは買わなかった。
・同じくグッズ売り場で、正月限定の「福袋」を友人と共同出資で買った。
・その中にあった「グラディウスII」のポップは、未だに宝物だ。
・雑誌「NG」は、まとめて5冊くらい持ち帰った。
・「沙羅曼蛇」の順番待ちをしていたら、背の高い兄ちゃんが投入口に100円玉を置いて去っていった。
・それが「順番待ち」の暗黙の了解なのを、その日初めて知った。
・ビデオゲームは、キャロット初期の頃は全てテーブル筐体だった。
・そのテーブル筐体に入っていた、「XEVIOUS」のロゴは見事に焼け付いていた。
・テーブル筐体の上には、コの字型の赤い「反射カバー」が置いてあった。
・通なプレイヤーは、カバーの代わりに4本足のイスを筐体の上に置いて遊んでいた。
・50円1プレイの、白い縦型の筐体があった。
・そこには「メトロクロス」など、一世代古いゲームたちが入っていた。
・「源平討魔伝」を友人と遊んでいたら、周りを10人以上のギャラリーに囲まれた。
・「リターンオブイシター」を初めて遊んだとき、ギルを適当に操作してゲームオーバーになり、怒られた。
・叫び声がするので、驚いて振り向いたら「ワギャン」だった。
・「スペースハリアー」は、なぜかずっと止まっていた。
・しかも動かない「SDタイプ」だった。
・「アウトラン」は、ギアがいつもヘナヘナだった。
・初めて「ダライアス」の3画面筐体が入ったとき、その重低音の振動に驚いた。
・と思ったら、本当に地震だった。
・「ファイナルラップ」の8台対戦は、実況も付いたりして本格的だった。
・「ウイニングラン」の8台対戦も、実況が付いて本格的だった。
・その両方で、僕は最下位を取ってしまった。
・「バーチャリティー2000」と言う、ヘルメットをかぶるようなゲーム機が衝撃的だった。
・ここのパンチングマシン(ノックダウン)で、僕は「ラリアット」を完成させた。
・友人は、パンチングマシンなのに蹴っていた。
・ビリヤードのキューの先を、よく壊した。
・カラオケボックスは、音がダダ漏れだった。

改行してないんでめっちゃ読みづらい。ごめんなさい。
途中から90年代の記憶も混じってますけど、これだけの思い出がパッと出てくるゲームセンターは、ここだけだなぁ。

シール機もUFOキャッチャーも無くても、人がゲームセンターに足を運んでいた確かな時代が、そこにはあった。
季節は巡り、その風景が消えようとも、風化しつつ薄れつつも、その思い出だけは変わらない。

ありがとう、キャロット。
今月、必ず遊びに行くよ。

ところで。
この店が無くなったら、仙台市民はどこで「アイドルマスター」を遊べば良いのだろう?

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2005年9月13日 (火)

DDTが福島に来たよ

「DDT」とは、「強力殺虫剤」だったり、「デンジャラスドライバー天龍の略」だったりしますが、ここではプロレス団体の「ドラマチックドリームチーム」のお話で進めます。

元々渋谷発の映像などを使った新しいプロレスということで、プロレス誌よりも先に若者向け雑誌やNHKなどに取り上げられてきたDDT。普段は東京を中心に回っているのですが、年に1度の福島大会が先週土曜日に行われました。
なんで福島かと言うと、昔、沢田亜矢子さんとの離婚騒動で話題になった「ゴージャス松野」さんが、プロレスラーとして(認めて良いかはともかく)DDTで試合してるんですが、松野さんが福島出身なんですね、その縁です。

ベガルタのラジオも、バーベキューの準備もポイして、福島へゴー!

会場はとってもゴージャスな雰囲気。
どれくらいゴージャスかと言うと、

SANY0358

このくらい。

さて。
DDTの試合は、映像を駆使してそれまでのストーリーを説明してくれるので、一見さんにもわかりやすいのがポイント。問題なのは、この日の福島大会をまとめる技量が僕にないこと。
なのでポイントだけ抑えてみました。

・DDTのエース、高木三四郎さんとマイミクになった

鳥の唐揚げ買ったら、三四郎さんに握手してもらいまして。
「mixiも入ってますよ」と話をさせていただき、マイミク登録していただきました。mixi分からない人すいません。

・ヨシヒコ選手にサインをもらった

ヨシヒコ選手って言うのは、DDTの時代を担うホープなのですが、この日は調子が悪くだるそうでした。サインを書く目もなんだか、

SANY0359

うつろでした。
坂井選手に支えられながらサインを書いていたので、多分体調が悪かったのでしょう。早く良くなってもらいたいものです。

ちなみにこの日僕は、次の日のバーベキューに着ていく服を購入。それがこの、

SANY0369

「ユニオンTシャツ」
説明は省きますが、ようは「鉄人」とか「東京」とか入ってるTシャツだと思ってください。
これを買ったときに、目がうつろなヨシヒコ選手にサインを入れていただきました。

やさしい団体だ、DDT!

さらに売店の猪熊選手に、
「これ洗わないほうがいいですよ。ボロボロになりますから」
と洗濯時の注意点まで、聞いちゃいました。

親切な団体だ、DDT!

ちなみに、DDTは未だに宮城県には未上陸。
なので僕の中では、プロレスリング・ノアよりも新日本プロレスよりも、ベガルタ仙台よりもサッカー日本代表よりも楽天イーグルスよりも、DDTの選手のほうが、めったに見られない
「スーパースターズ」
と言うポジションです。

いまだ、賛同者は無し。

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2005年9月12日 (月)

だめだ

モデムの調子が悪くて、繋がりません。
エンコードしながら寝ます。また明日。

昨日予告した泣かす人は、4人でした。嫌になった。

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2005年9月11日 (日)

ある意味狙いどおり

今日は友人と、友人のいろいろなつながりの皆さんと、バーベキューをしてきました。

20人超のバーベキューと言うのは初めての経験でしたが、ありえない量のもやしとか、信じられない量のたまねぎがどっさりとテーブルに乗った姿は、実に圧巻で「萌え」でした。

そんな中で、僕のblogの読者様でもある友人に、話を聞いて見たところこんな話が。

「うちの嫁に、キミのblogの話をかいつまんで話したら、『女子中学生とかそういう人なんだ』って言ってたぞ」

「言ってたぞ」じゃねえよ。
それはキミのかいつまみ方がおかしいだろうよ、絶対に。
とは言うものの、僕はもちろんそういうエッセンスを交えつつblogを書いているので、こういう反応はある意味
「狙い通り」
なわけだ。
果たして、僕のような素人の文章、素人のblogに、「エッセンス」とか「オチ」が必要であるかどうかは別として。

ま、自分の思った通りに事が運ぶと、どんなことであれ嬉しいものです。
もちろん、思った通りにならないことのほうが、多いけどな。

明日はお休み。
会社の電話鳴らしたら泣かす!
              ↑
            エッセンス

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2005年9月 9日 (金)

「フェチバトン」ってなんだよ

今度回ってきたのは「フェチバトン」。
もう、何がなんだか分からない、このネット上を震撼するバトンシリーズ。
だいぶ前に来て、面倒くさいのでほっておきましたが、本日回答。

Q1.あなたは何フェチですか?

「でかくて、うまい外国人」フェチかな。
最近では全日本プロレスの「ジャマール」さんとか、最高です。外国人は圧倒的にデカイ!そいでもってうまけりゃなお最高!と言うスタンスですので。だから「ジャイアント・シウバ」さんとかは、フェチの範疇に無い。

Q2.好きな人を見て、先ずどこを見る?

肉体。
身体ですよ、身体。若い頃の藤波さんとか最高ですよ。あれだけの肉体を作り上げて、サプリメントは一切取って無かったって言うんだから、信じられないですよ。
そう考えると、今の時代は器具や知識が発達したけど、鍛え上げると言うハングリー精神は、衰えてる感じがしますね。

Q3.最近、プッシュできる部位

背中。
ようやく体重が80kg代に落ちましてね。パンプアップされた後背筋が、だいぶ目立つようになってきましたよ。こう見えても、背中から写真撮られると、ちゃんと「逆三角形」なビジョンで映るもんですからね。これは前面に押し出して行きますよ、えぇ。
反対に正面画は、下腹の肉が落ちなくてねぇ。もう少し待って欲しい。

Q4.よく見る、特別な思い入れのある人物のお気に入りの部位。5つ。

小橋建太さんの上腕二等筋
kobasi
これはありえないよねぇ。すんごい太さ。たくましい。逆水平チョップでさえ、受けた人は悶絶すると言うのに、あんなのでラリアット喰らったら、死んじゃいますよ。

KENTAさんの大胸筋
kenta
7・18ノアドームで、GHCJrヘビーのベルトを奪取した、KENTAさん。無駄の無い肉体から繰り出されるスピーディーな攻撃は、女性に黄色い声援を上げさせます。

棚橋弘至さんの腹筋
tana
プロレスファンにはイマイチ評価の低い棚橋選手ですが、僕は買ってますよ。
何より試合内容とか肉体とか、常にファンを意識する、ファンを満足させてやろうと言う姿勢は、プロとして重要だと思います。
日本プロレス界のヘビー級レスラーとしては、屈指の肉体と思います。

外道さんの後背筋
gedou
多分、日本で一番格好良い肉体を持つプロレスラー。
説得力抜群の肉体と、玄人を唸らせるプロレスの巧さは、他の追随を許しません。シングルのベルト巻いてくれ~。

三沢光晴さんのおなか
misawa
いや~ん、社長。ぽっこりしすぎ。
GHC挑戦前に、少しでいいからシェイプしてください。お願いします。

Q5.BATONを5人に・・・

こんなバトン、誰も受け取らないでしょうよ。

ところで、ここまで書いておいてなんなんですが、
フェチってなに?

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2005年9月 8日 (木)

目指せ頂点!湾田モモ

昔、「加奈~妹~」と言うノベルゲーがありました。
病弱な妹、加奈の成長を描いたノベルゲームでしたが、このゲームの問題は、最後「加奈が死ぬ」こと。

いや、別にそういう演出があっても構わないんですが、小説や映画と根本的に異なるのは、ゲームは「自分で進行が止められる」のが大きな違い。
ゲームを進めていて「加奈が後わずかな命」と医者に宣告された後、僕はこのゲームを進めていません。
だってゲーム進めると、加奈死んじゃうじゃん!

そんな訳で、このゲームの真のラストを知らなかったりします。
前も書きましたっけ、この話?

で。

ナムコの「アイドルマスター」を遊んでいて、気付いたことがありました。
「難易度キツイ」
ファンの人数を増やし、アイドルランクをF→Aまで持っていくのが一応目的ですが、オーディションで対戦するのは、全国の猛者プレイヤーたち。
ゲーム慣れした彼らとの戦いを、思うように勝ち進むことは出来ません。

そうこうしているうち、残り活動期間は8週間になってしまいました。
その8週のうちに、あと8万人のファンを集めなければ、うちの「湾田モモ」はゲームシステムにより、「強制引退」させられてしまいます。引退すると、そのアイドルとは2度と会うことができなくなります。

やですよ、そんなの。

しかし、8週で8万のファンを集めるには、1万人のファンを獲得できるオーディションを、8回連続で合格しなければなりません。かと言って、2万人のファンを獲得できるオーディションは、合格人数も少なく、僕は1度も合格したことがありませんでした。
なので、このままでは確実に「引退」してしまうので、僕はゲームプレイを止めました。

「加奈」の時と同様、分かってしまったラストに向かってゲームを進めることなど、チキンな僕には出来ません。ゲームを進めなければ、モモが引退することもない。
さようなら、「アイドルマスター」

と、思っていたのですが。

ナムコからのお知らせ。
Ver1.01
2)オーディションに関わる仕様変更
~中略~
一部のオーディションの合格枠と増加ファン人数が増加しました。
合格時のファン数増加により、ランクUPリミットが緩和されるのと同じ効果を得ることができます。

気付いてくれたか、ナムコよ!

そんな訳で、うちの「湾田モモ」は見事10万人のファンを集め、無事アイドルランクDに上がることが出来ました。引退危機回避。良かった良かった。

もう満足。志し、低っ!

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2005年9月 7日 (水)

ホームページ閉鎖

始まりがあれば 終わりがあるように
出会いがあればまた 別れもあるのです

永遠に続く運営者と閲覧者の関係 それはどんなに幸せなことでしょう

ここ、まんが・MANGA・MANGAには 一つの伝説があります
きめん邸のはずれにある 一台のドリキャ

そのたもとで大晦日の日に チャレンジャーからの告白で生まれたタッグチームは
永遠に幸せな関係になれるという伝説が…

ねーな、そんなものは。

1年以上こちらのblog続いてますけど、その前身となった本体のホームページは、トップページだけ微妙に更新しつつ、一応続いております。

元々日記サイトだったので、blogだけでも困らないんですが、久しぶりに本体を更新しようとしたところ、@niftyさんより、警告メッセージを頂きました。

sakusaku

本体のサービスは、来年5/31で停止だそうです。
最近はTWINZのアングルくらいしか更新してませんでしたが、終わりの日が決定するのは淋しいですね。

まあ「mixi」にも登録してますので、連絡や雑談なら、全く問題ないとは思いますが。

ただ、blogはあくまでも「log」なので、データをまとめて保存しておけるホームページは、結構重要視してたんですけどね。
まだ期間はありますので、のんびりデータ保管していこうかと思います。

~追伸~
昨日の動画、「落とせない」と言う方、多いっぽいです。
ストリーミングが効いてないっぽいです。すいません。

ミラーを作ってみました。どうだろ?(約16M)
~2005/10/1 削除しました~

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2005年9月 6日 (火)

突発「ジャイアントグラム」大会 決勝戦

8/21の日記で「突発的に16個のビジュアルメモリで、大会を開催した」と書きましたが、今回はその続きです。

集まりも集まった16名の選手たち。
その中から各ブロックを制し、決勝ブロックに上がったのは、以下の4選手でした。

Aブロック : 早乙女優美
Bブロック : フランソワー・ズモレシャン
Cブロック : キマラジャギ
Dブロック : まいどオーキニ

ズモレは、「全日本プロレヌ」でペギーに鍛えられ、TWINZ-2において決勝に進出した猛者。
キマラジャギは、その残忍で下品な性格ながら、腰を中心とした攻めを見せる実力者。
まいどは、華麗なスープレックスが得意の、「関西プロレス」のエースです。

この3人は分かるんだ。問題はキミだ! 早乙女優美!!

彼は昨年大晦日、TWINZ-3にてデビュー10周年記念試合を行った選手。いわば、大会で勝つことを前提としなかった、ノーマークの選手。
この選手が、キングコミク・バンディ、ラリ@殺法、クラッチ昭和と、強豪ぞろいのAブロックを勝ち抜いたのは、激戦、波乱必至の「チャンピオンカーニバル」の醍醐味では無いでしょうか。

そして行われた、チャンカー決勝ブロック!
この強豪ひしめく中、見事決勝の舞台に立ったのは、この2人!

kesho

ズモレと優美!
くしくもチャンカー決勝戦は、同じ全日本プロレヌ所属の両者によって、行われることとなりました。
恐るべし、全日!
決勝にノーマークながら勝ち進んだ優美は、97年の全日本プロレスチャンピオンカーニバルの田上明さん、98年の新日本プロレスGIクライマックスの山崎一夫さんを、彷彿とさせます。

ちなみにここで問題なのは、最大6名の選手を出場させながら、1人として決勝にコマを進めることが出来なかった、きめんのレスラーたちであろうことは、ここでは触れないでおく。

そして行われた決勝戦。
これがまた激しくかみ合い、壮絶な激闘となりました。
今回、ようやく「ウインドウズメディアエンコーダ」の使い方を覚えて、決勝戦の様子を圧縮することに成功しました。
こちらから、ご覧ください(約18MB)

~2005/10/1 削除しました~

注:ファイルが重いため、マウス右クリックから保存して見たほうが、確実っぽいです。

ご覧頂く前の注意事項として、

・今回の設備は突発だったので、貧弱
・SE消してない上、入場曲もデフォのまま
・音声Lはゲームの音、音声Rは実況と変な分岐
・マイク1本のため、編集長に話を振ると、変な間が空く
・選手資料が何も無いため、実況が頻繁に噛む
・実況も解説も、だいぶ酔っている

ことなどが上げられます。
それでも当日の雰囲気は臨場感たっぷりに伝わることと思いますので、お楽しみください。

しっかしここまでやっちゃったら、今年の大晦日もジャイアントグラムの大会、
「TWINZ-4 ~DESTINY~」
開催決定でいいんでしょうか?

参加者の期待は、パンパンに膨れ上がってますよ?

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2005年9月 5日 (月)

仮面ライダーヒビキと7人の戦鬼

僕が子供の頃は、鬼と言えば恐れられ、怖がられる畏怖の存在だった。
しかし、この現代においては、子供達は自らその鬼に歩み寄り、

oni1

記念撮影をしてもらうほど、身近な存在になったようです。

普段映画に興味なんざ無い僕が、心待ちにしていた映画。「仮面ライダーヒビキと7人の戦鬼」が公開されました。小さいお友達と一緒に、大きいお友達もたくさん見に来ていました。
夏休みも終わったこの時期なのに、かなりの人気度です。

一応節度ある大人として、映画館「最後方」の「ど端っこ」で鑑賞させて頂きました。
周りは手を叩く子供あり、響鬼の変身アイテムを持った子供ありと様々です。

この子供だけでは無く、大人まで引き込んだ映画版「仮面ライダーヒビキ」ですがぁ。
微妙だった。

やはり鬼が7人もいると、導入だけで時間を食ってしまうので、子供達が途中で飽きてしまった。
僕の周りでは、走り出す子供もあり。挙句「つまんな~い」と本音を暴露する子供ありと、様々でした。
最後の戦いでは、みんな画面を食い入るように見てましたけどね。

で。

僕が何がビックリしたって、「魔法戦隊マジレンジャー」がマジで面白かったのには、マジ驚いた。ヘタするとヒビキよりも面白かったかもしれない。
何が一番面白かったって、マジレンジャーの手助けをする「天空大聖者マジエル」様の役が、

soga

曽我町子さんだったのが良かった。
へドリアン女王は、いまだ健在と言った感じで安心しました。今回は味方役でしたけど。森光子さん並に、女優として現役で活躍していただきたいと思います。

ちなみにヒビキの映画後ですが、会場外で子供達にオロナミンCを一生懸命配っていたのは、

oni2

響鬼さんでした。子供達にはいい思い出になったことでしょう。

僕自身も、間近でヒーローを見たのは久しぶりだったので、少しワクワクしました。
いつ以来かって言うと、「メグさんがヒーローショーでさらわれた」以来ですかねぇ。

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2005年9月 4日 (日)

J2/やめろコールとブーイングと

J2の44試合を対戦する12チームで、ぶった切り4分割。その対戦が1周する11試合が1クール。
第1クールは、チームの状態を見る様子見の時期。
第2クールは、チームが徐々に固まってくる成長期。
そして第3クールは、チームの戦術、方向性が定まってくる勝負の時期。

その勝負の時期に、ドタバタゴタゴタしまくっている、我らがベガルタ仙台。
うちのblogにおいても、あまり戦績が掲載されなくなってきました。
ちょっと、おさらいしていきましょう。

まずはキングカズ後の、京都パープルサンガさん。
前半こそ五分の展開だったものの、後半にPKを与えてからは泥沼の展開。結局 1-3 でDESTINYなライバル京都さんに完敗。

引き続き行われた、徳島ヴォルティスさん。
JFL昇格組のこのチームを、とことん苦手としている仙台。この日も先制するも逆転されると言う、苦しい展開。結局 2-2 で引き分け。
そして、試合後の暴動騒ぎとなりました。

勝負の第3クール7試合で1勝と、こんなので「昇格」とか言ったら、閻魔様に舌抜かれそうなベガルタ仙台。
今週はHOMEで、みちのくダービーモンテディオ山形さんを迎えました。

ダメでした。

0-0 で引き分け。
いやあ、ここ2ヶ月くらいずっとお酒がまずいのは、呑みすぎじゃなく、仙台が勝っていないからだろうなぁ。

試合後は物の投げ入れ、暴動こそなかったものの、サポーター席からは、
「都並辞めろ!」
の大合唱。
いまさらですが、都並さんってのは今の監督ね。素晴らしい合唱でしたよ。

それに対して、
「いまさらそういうこと言うんじゃねえ!」
と、そのコールを止めろ!の意味で対抗のブーイング。仙台サポーターも分裂の危機です。

まあ、都並監督の手腕がヘッポコなのは分かりきっているので、僕も辞めていただきたいのは山々ですが、社長は「今期は都並体制で行く」と言っていますし、今時期に監督を辞めさせたところで、チームが奇跡的に改善することなんざありません。

それを耐えた上で、選手を応援しなければ行けないと思うのですが、まだ昇格に向けて、髪の毛の枝毛1本分くらいの可能性は残っているので、可能性のあるうちに監督を変えてほしいと言う気持ちもわからなくもない。

でも、どうだろうねぇ。
次来る監督が今より優秀な保証はないし、今年は辛いけどこれで行くしかないと思うんだけども。

これだけ辛い状況にした人には、それなりの責任を取ってもらいたいとは思いますが。

優勝へのマジックは、2減って「M48」
残留への裏マジックは、5減って「M2」

「裏マジック貯金」は、4万4000円となりました。

マジック2ってことは、あと1敗したら終わりじゃんな。
あと14試合を無敗で行けって? 無理言うなよ。結構リアリストなんだよ、僕は。

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2005年9月 2日 (金)

ベガルタ仙台はどこへ行く

僕の好きなまんがに、「帯をギュッとね!」(通称:帯ギュ)と言う柔道マンガがある。

この作中で、チームメイトの斉藤さんが、チームのあり方に疑問を抱いて、一時柔道部を離脱します。その斉藤さんと会いにきた粉川さんと話をするうち、斉藤さんの中で心境の変化が訪れます。

「俺は勝つために、自分から苦しまなくちゃならないと思い込んでいた。でもそれは、苦しんだ代償として、勝たせて欲しいという、甘えた考えだ」

これだけ頑張ったんだから、勝たせてくれ。
これだけ勉強したんだから、合格させてくれ。
これだけ働いたんだから、明日は寝かせてくれ。

最後のは違いますが、頑張ったからといって、毎回必ず結果が出るわけではありません。
よく金メダル取ったり、優勝した人が、
「頑張れば、絶対夢は叶うんです」
何て言うけど、あれはウソ。
実際には、優勝した人よりももっとずっと、頑張っている人もいるはず。だから、自分が頑張った結果が最善じゃなかったとしても、それを受け入れなければならない。
残酷だけど現実。

例えとして妥当かは分からないが、
「これだけベガルタのために、弾幕張ったり、朝早くから並んだり、必死で応援してるのに、何で勝てないんだよ!」
と言うのも、結局は「甘え」に他ならない。

「これだけ自分の時間を費やして、チームを、選手を応援してるのに、何でお前ら勝てないんだよ!」

確かに僕はベガルタを見に行く時、たらっと会場後に入って、適当に空いてる席に座って試合を見る。前述のような方と試合にかける情熱は、相当の開きがあるだろう。でも、それでも僕はその考えは「甘え」であると断言する。

だからこそ、これだけ頑張ってるのに報われない状況になったとき、ペットボトルを投げつけて、愛する選手を激怒させ、喧嘩紛いの大騒ぎになってしまうのだろうと考える。

確かに、その気持ちはわかる。
僕も今年は散々ブーイングしたし、監督批判もしたし、ベガルタの名川社長に集会で質問したりもした。ただ、それが物理的攻撃になっては、全ての道義に反する。金を払っているから、何をやっていいと言うものではない。確かに動きに精彩の無い選手や、ミス連発の選手もいたかもしれないが、矛先もやり方も間違っている。

「日本一のサポーター」と呼ばれていた頃は、負けていても前向きに応援をしていたはず。
こういう状況だからこそ、初心に帰る必要があるのだと思う。

と、ここまで書いておいてなんですが。

まあ、暴れたサポーターは問題なんですが、明確なチームのビジョンを明言できないベガルタの運営会社及び社長。
シーズン半ばを過ぎても、どのようなチーム、戦術を創りたいのか分からない監督。
2年契約の監督を昨年解雇して、自分の連れてきた監督で勝負かけたら頓挫しちゃって、早々と辞任を決めたGM。

このお三方の罪は、物を投げ入れたサポーターよりも重いかもね。
7月のサポーター集会で言ってたこと、全部その場しのぎの先のビジョン皆無、ってことが分かっちゃったもんな。

毅然とした態度を取れ。

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2005年9月 1日 (木)

出張中に悲しい知らせ

本日は札幌出張中です。
疲れもピークで眠いし、だるいし、慣れもあってかったるいんですが、まあやります。

そんな僕の元に悲しいメールが。

今日、仙台スタジアムで行われたベガルタvs徳島の試合を見に行った、お友達からのメールです。
「歌劇な弾幕」
歌劇? あぁ、過激か。過激ってどんなのよ? と聞いて帰ってきたのが、

「死ね 仙台の為に」

…殺すなよ。
確かに腹が立ってるのはわかるけども、死ねとか簡単に言うな。そしてスタジアムに張るな、そんなもの!
怒りを通り越して、悲しいな。気力も無いや。

今日の試合が2-2で引き分けだったこともあり、試合後もいろんな意味で大荒れだったようです。
かつてその応援から「日本一のサポーター」と称され、絶賛されたベガルタサポーターですが、暴徒と化した今や「最低なサポーター」のレッテルを貼られちゃいますよ。

ごく一部の心無い連中の仕業だったとしても、ここまで騒ぎが大きくなると、斜めな見方をされるのは避けられない状況ですね。
悲しいな。悲しい。

僕たちは迷いながら たどり着く場所を探し続け
悲しくて 涙流しても いつか輝きに変えて

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