日常/父逝去
「こいつがおらいの『えへもち』だから」
幼少の頃、父は僕を紹介するときに毎回のようにそんなことを言っていた。
「えへもちってなんだ?」
その疑問は、ふとした他人との会話から解き明かされることになる。
「俺は○○家の『位牌持ち』だからさぁ」
あぁ、なるほど。
「えへもち」ではなく「位牌持ち」のことだったのか。
さすがに戦前の田舎生まれの父である。日本語の翻訳も難しい。
8月23日(木)19:02
父が永眠しました。
享年77歳。
子供の頃からだらしがなくて、毎日のように夫婦喧嘩を繰り返し、常識もなかったので、一緒に歩くのも恥ずかしかった。
仕事も頻繁に変わり、母はそのたびに苦労し、聞くところ僕が小学校時代には「生活保護」の申請を受けていたこともあるらしい。
3年ほど前にタバコが原因で入院し、「余命1年」の宣告を受けたにもかかわらず、隠れてはタバコを吸い続け、僕が「タバコを止めろ」と言っても
「吸ってねぇ!」
と逆ギレ。
人目につかないようにトイレでこそこそ吸った挙句にそんなことを言われるものだから、
「中学生か!」
とこちらも怒鳴りつけたが、なんせ中学時代から酒もタバコもやってる世代なので、聞く耳はなかったのかもしれない。
正直近年は相手にもしていなかったのだが、僕の周囲には失礼ながら父親を早くに亡くしたり、兄弟で父が違っていたりする友人がいるので、彼らの助言を聞き入れ、ほんの少しは父の話に耳を傾けたりもした。
お互い照れ屋なのでたいした話はしなかったが、しなかったよりは意味があったと思いたい。
母と姉2人と僕の家族4人で、臨終の瞬間に立ち会った。
忙しい今のご時世、家族全員が揃って臨終に立ち会うというケースはかなり珍しいだろう。
呼吸も止まり、医師の先生より
「あと数分で心臓も止まります」
と言われてから約30分、仕事だった姉を車で連れ帰るまでギリギリ持った生命力は、さすがは戦前の生まれか。
戦争を生き延び、激しい生存競争に打ち勝ち、好況も不況も体験し、宮城県沖地震と東日本大震災も体験した。
なかなかに激しい人生だったと思うが、30年前から言われてきた
「口約束」
をようやく実現することが出来た。
昨晩通夜、本日本葬と法要を行い、喪主として取り仕切りました。
3姉弟とも大きな病気1つせず、丈夫に育ててくれてありがとう。
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