日常/10年前の僕から10年後の僕へ(長文)
注:
久しぶりの企画ものなので長文ですよっと。でも損はさせないはず。
「タイムカプセル」
小学生のころ、高校の大きな木の下に穴を掘って埋めた。
「大人になったらみんなで掘り起こそうね」
そんな約束をして、実際に掘り起こした人というのは、果たして何人いるのだろうか?
話は今から震災の少しあとに遡る。
部屋の片隅に崩れたマンガに埋もれるように「それ」はあった。
遠い昔に「何か」を入れたイヤな記憶が一瞬にして蘇る。「何か」は入れた。それが何かは覚えてる。だが、その「中身」が何かまったく覚えてない。
僕は戦慄した。
もう記憶にも残っていなかった「パンドラの箱」が、目の前に転がっているのだから。
それは思い起こすこと数年前。
酔っ払った僕たちは、どんな話の流れかわからないが、
「10年後の自分たちに本気の手紙を送ろう」
という話になった。
酔っ払った連中が真面目に書いたことなど、たかが知れている。
しかも10年後だ。
全員が集まれるとも限らないし、そもそも10年後にそんな「企画」があったことすら覚えている保証も無い。
実際、僕は忘れていたのだから。
だが今、目の前に転がるその箱は、一瞬でその当時を思い起こさせるほどの破壊力があった。
「この箱はまずい。触れてはいけないものだ」
そう思った僕は、その箱を掘り起こし、またマンガの奥にしまいこんで忘れようと思った。
だが、箱に書いてある文字がそれを許さなかった。
そこには、
「2002.9.29 ~ 2012.9.29」
期限まであと2~3年はあるだろう。
そう思った僕の期待は裏切られ、そしてあの日のことをすべて思い出した。
2002年。
それは、僕らが学年として迎えた「20代最後の年」だった。
そこから数えて10年。
この箱の中には、「20代最後の年の自分から、30代最後の年の自分」へのメッセージが封印されている。
「どどど…どうしよう…」
必ず起爆する爆弾を持たされた僕の当時の心理状況がいかほどのものか、想像するのはたやすいだろう。
それから約1年。
ついに「パンドラの箱」を開ける日がやってきた。
オクトーバーフェストセミファイナルの錦町公園に背を向けて、巣窟に集まった勇者たち。
2012年9月22日。
あの日から1週間を前にして、ついに10年の封印が解かれようとしていた。
場に集まった全員に、状況の説明と注意事項を確認する。
10年後の自分の手紙を確認し、読める部分はみんなの前で読むこと。
最初はすべて音読の予定だったが、そもそも何が封印されているのかわからないのだ。ギリギリの妥協点といえるだろう。
「いいか、開けるぞ」
そう宣言し、缶の箱の周囲に巻かれたビニルテープの封印を解く友人。
ついに10年の刻を越えて、自分への手紙が公開される瞬間がきた。
と思われたのだが。
フタを開けた瞬間、何か文字の書かれた便せんが一番上に載っており、それを見た一瞬のうちにフタは閉じられた。
動揺する一同。
「今の何だ? 注意事項か?」
「どれだけ用意周到なんだよ」
「すまん、多分僕の字だわ。確認させてくれ」
なんとなく自分の文字に見えた僕が、責任を持って確認することとした。
そして再度フタをを開けて文字を読んだ瞬間、僕は笑い崩れるとともに、友人の顔を見てこういうしかなかった。
「お前は天才だ…」
注意事項の便せんには、こう書いてあった。
「2012年の諸君。この下の手紙を読む前に、
2022年の自分あての手紙を書いてからにしてヨ~。
いいかい?
2002.9.29 テイム」
何も言わずに箱を渡され、無言でそれを読んだテイムも爆笑した。
「俺、天才! 俺、策士!」
その場の一同もうなづくしかなかった。
そう、これこそが我々の企画の真骨頂。
生半可なことでは始まらないし終わらない。
10年という月日を越えてもそのノリは健在。
いやむしろ、10年前の自分たちの企画力、発想力に驚嘆すべきか。
自分自身に驚かされる経験って、あんまり無いよね。
でまあ、10年前からの自分への手紙については、当然その場だけのお話。
10年後の自分への手紙を書いた人たちにのみ、ちょこっとだけ読ませていただきました。
そして最後は、その場の全員分の手紙を集めて、再び10年の封印をかける。
10年前、僕は日記サイトを立ち上げることもしておらず、blogもyoutubeもGoogleもメジャーではなかった時代。
今はblog、mixi、ツイッター、フェイスブック、Google+と、いろいろな場所で僕は送受信をしてるが、10年後、この日記を公開するときはどの媒体になるのか。
それはそれで興味が尽きない話題ではあるが、話がそれるのでこの辺で。
また、10年後に。
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