日常/10周年名企画/キャラバン対決
ぼちぼち振り返るのも最後と言うことで、忘れられない企画をもう1つ。
2004年に行われた「スタソルキャラバン」ですね。
こちらは、開催時期にはすでにblogに移行していたので、今でも当時の日記を読むことができますが、それにいたる前段階の日記を発掘。
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■2004/05/20 Thu GBAのファミコンカラーはGBASPFCCと言う略称なのだろうか
最近家でやるゲームと言えば、通販で買った「ビートマニアIIDX7thMIX」か、ファミコンの「スターソルジャー」ばかり遊んでいます。
この2本のゲームに共通するのは「短時間で満足感が得られる」と言うこと。1曲1分程度のビートマニアと、2分モードばかりガシガシ遊ぶスターソルジャー。共に10回も遊べば、ホコホコした満足げな顔で「今日はすんごく遊んだ」と言う気分になれる。
「なんだよ、スタソルって! きめん、ひよってんじゃねーよ!」
と、言う向きもあるかもしれない。思えば小学5年でファミコンに出会い、小学6年ではじめてゲームセンターに行った、もはやゲーム歴20年のベテランだ。故・ジャイアント馬場さんに習い、ゲームの『生涯現役』宣言をし、常に闘いつづけようと誓った男として、どうなんだと。
だが、しかし! チョット待っていただきたい。
ここの日記を読んで頂いている皆々様であればお分かりかと思うが、僕はほんの数週間前まで、指ケイレンでの連射力9.5/sec(シュウォッチ調べ)の、ラリオスを壊すのがやっとの、弱々しい人間だったのだ。
そんな僕が幾多の秘密特訓を乗り越え、いまや指ケイレン13.5/sec(シュウォッチ調べ)の荒々しい男に成長を遂げたのだ。サングラスをかけて森の中でシャワーを浴びるのと同じくらい荒々しいのだ。それはいわば、人間的に一回りも二回りも成長した証ではないのか。
その成長、進化をしつづける男がひよっているわけが無い。僕はいつだって現役バリバリ。若い連中にも負けないぜ! 若い連中は、スターソルジャー発売されたとき、生まれてないけどな!!
一句できた。
明日はファミコンミニ2発売。なに買うか決めた?
だから、未測定。
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何でかわかりませんけど、この時期突然ファミコンのスタソルに目覚めたようでして。
友人らと酔っ払ってファミコンするのはいつものことでしたが、友人がベロンベロン状態で見せてくれた
「指痙攣でのラザロ破壊」
に感銘を受けたと思われ、そこから10数年ぶりに痙攣撃ちの練習を始めたようです。
その後、2004年9月に岩手、函館、青森、秋田、宮城を転戦しつつファミコンのスタソルで対戦する
「TWINZスペシャル きめんvsテイム スターソルジャーキャラバン」
が開催する運びに。
恐ろしいことに、ゲームプレイは
「7インチのブラウン管テレビ」
で、プレイの録画は
「VHSビデオデッキ」
でした。
函館へはフェリーで渡りましたが、車は青森に置いていったので、
「カバンにビデオデッキを詰めて」
持ち運んで、ホテルでプレイを録画しました。
ニコニコ動画など存在せず、Youtubeのサービス開始も06年からなので、ゲームプレイの動画は
「友人宅のPCをサーバーにして再生」
してました。
夜中に訪問者がいると、友人宅のPCが立ち上がって、HDDのカリカリ言う音が鳴り響いていたそうです。
デジタルなクセして、アナログな時代ですよねぇ。
本来なら身内への閲覧だけで終わるはずだったその企画動画は、2chのキャラバンスレにURLが貼り付けられ、リアルな当時のキャラバンを知る、
「本物のキャラバン戦士たち」
の目にとまることとなり、
「東北の仙台に面白い(バカな)ことをやってる人がいる」
と一部で噂になり、mixi全盛期の2006年に開催された
「高橋名人の真夜中のゲーム大会」
で、きめんとテイム氏がファミコンスタソル部門でダブル入賞を果たし、今年の「第8回」まで続く
「マヨゲー」
常連への道を歩みだしたわけです。
このときに知り合った、数多くの皆さんとの交流が広がったのは、本当にありがたいことです。
僕らの当時のゲームプレイなんて、とても今では見られたもんじゃないほどひどいものでしたが、各土地を回って対決と言う企画スタイルが、全国行脚してた戦士の皆さんの琴線に触れたとか何とか。
世の中、何がきっかけになるのかわかりませんねぇ。
これで当時から10周年で高橋名人の招聘に成功すれば、綺麗にまとまるのですが果てさて。
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