長文/ベガルタ/【J1第36節】終戦(と言う名の売り上げ規模への文句)
かつて夢を見た。
あれは1999年、J2が始まった最初のシーズンの最終節。
生まれて初めて生観戦したプロサッカーの試合に、すっかり魅了されてしまった。
かつての仙台市は、アーティストにとって鬼門の街だった。地方では大きい100万都市でそれなりに広い箱もあるのだが、なんせ「ノリ」が悪い。どれだけ煽ってもノッてくれず、まあやりづらかったと。
結局あれは、声出したり騒いで良いのか分からない、そういうルール、状況が呑み込めてない地方都市ならではの出来事かつ、ネットの無い時代の情報の遅さが生んだ悪い文化だったのだろうなと。ようは田舎者だったのだ。
そんな中でサッカー会場は違った。
大きな声を出し、みんなで歌い、手を挙げて大きく振る。こんな行為が許されていいんだと、当時20代の僕は大きなカルチャーショックを受けた。すっかりサッカーの、いや、ベガルタの応援の虜になってしまった。
時代は2002年の日韓共催ワールドカップへ進む途中。
その時代の後押しと共にJリーグは活気づき、地方クラブは初のJ1昇格を成し遂げた。その後降格するも、6年間のJ2時代を経て2009年に再度昇格を決め、2010年からは再びJ1の舞台で戦うことになった。
初年度は苦労しながらも最終節で残留を決めた。そして翌年2011年、東日本大震災が起こりJリーグは中断。ホームゲームを翌日に控えていたベガルタの選手たちは、ボランティア活動を行い、再開試合では川崎フロンターレに逆転勝ち。
「被災地の希望の光になる」
それを翌2012年にはJ1リーグで2位となることで、体現して見せた。
【もう一度見たいあの試合】震災からの復興を象徴する一戦。 2011Jリーグ ディビジョン1 第7節 川崎フロンターレ vs ベガルタ仙台 ハイライト
あれは1999年、J2が始まった最初のシーズンの最終節。
生まれて初めて生観戦したプロサッカーの試合に、すっかり魅了されてしまった。
かつての仙台市は、アーティストにとって鬼門の街だった。地方では大きい100万都市でそれなりに広い箱もあるのだが、なんせ「ノリ」が悪い。どれだけ煽ってもノッてくれず、まあやりづらかったと。
結局あれは、声出したり騒いで良いのか分からない、そういうルール、状況が呑み込めてない地方都市ならではの出来事かつ、ネットの無い時代の情報の遅さが生んだ悪い文化だったのだろうなと。ようは田舎者だったのだ。
そんな中でサッカー会場は違った。
大きな声を出し、みんなで歌い、手を挙げて大きく振る。こんな行為が許されていいんだと、当時20代の僕は大きなカルチャーショックを受けた。すっかりサッカーの、いや、ベガルタの応援の虜になってしまった。
時代は2002年の日韓共催ワールドカップへ進む途中。
その時代の後押しと共にJリーグは活気づき、地方クラブは初のJ1昇格を成し遂げた。その後降格するも、6年間のJ2時代を経て2009年に再度昇格を決め、2010年からは再びJ1の舞台で戦うことになった。
初年度は苦労しながらも最終節で残留を決めた。そして翌年2011年、東日本大震災が起こりJリーグは中断。ホームゲームを翌日に控えていたベガルタの選手たちは、ボランティア活動を行い、再開試合では川崎フロンターレに逆転勝ち。
「被災地の希望の光になる」
それを翌2012年にはJ1リーグで2位となることで、体現して見せた。
【もう一度見たいあの試合】震災からの復興を象徴する一戦。 2011Jリーグ ディビジョン1 第7節 川崎フロンターレ vs ベガルタ仙台 ハイライト
かつて夢を見た。
この地方クラブが大きく育ち、中央のチームや有名選手たちと互角に渡り合い、倒し倒されるのは楽しいだろうなと。世界を夢見ることまでは無いが、ACLへの出場でアジアのレベルも体感した。J1リーグ戦以外では、天皇杯も準優勝までたどり着いた。チームの人気と共にクラブの売り上げ規模が上がれば、タイトル獲得も夢ではない。そういうことを思いながらJ1生活12年。
ふと、チームの年間売り上げを見返してみると、
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売り上げが長年横ばいなことがよく分かる。確かに地方都市ならではの知名度の低さなどもあるだろう。ただ、金が無ければ知恵を出す、足を使って稼ぐのは弱者の鉄則である。それが出来ているのかどうか。少なくとも僕が見ている限り、ベガルタの営業力は弱く、無料で宣伝できるSNSの活用方法も登録者数も最弱である。
そこで、広告料収入に着目してみた。13-16の4年間であるが、
ほぼ9億円固定。これはちょっとショックである。これは何も営業せず新規も無く、ただ契約延長してもらってるだけと見られても仕方がない。
加えて、歴代社長からは「売り上げ規模を30億に乗せて」と言う言葉も聞えたが、広告収入が伸びずにどうやって売り上げ規模を伸ばすつもりだったのか、聞いてみたいものである。
そもそも、J1では30億では戦えない。35億から40億円の売り上げが必要とも言われる昨今である。30億と言ってる間に周囲のチームがとっととベガルタの売り上げを抜いていくことを、どう思っていたのだろうか。
今度は、2017年にJ1に昇格した、コンサドーレ札幌とベガルタ仙台のここ数年を比較してみたい。
あっちゅう間である。文字通り「あっ」と言う間に追い抜かれてるのである。
17年こそほぼ同じ売り上げと広告収入だったが、18年には広告で2億、19年には3億円差をつけられ、売り上げでは8億円も差が開いてしまった。
ベガルタ仙台よ、いったいキミたちはこれまで何をしていたんだい?
かつて夢を見た。
が、それは個人の願望であり、そもそもチームは大きくなることなど希望していないのではないか。そんなことも思い始めてきた頃、チームは債務超過、所属選手のDV不祥事、リターンの無い募金活動等々、様々な悪手を打ち続ける。
成績も2020年はホームゲームで未勝利と言う恥ずかしい記録を達成。
降格の無い年に翌年に向けた準備期間と捉えることが出来ず、負の連鎖が覆ることなく、2021年11月20日、湘南ベルマーレに直接敗れ、他会場の清水エスパルスが勝利したことで、18年ぶりのJ2降格となった。
前の2003年の降格は、最終節まで踏みとどまり、引き分けで降格した。
今回2021年は、ホームゲームの直接対決で0-2で敗れ、文句のつけようもなく降格した。
清水、湘南、徳島、大分、横浜FCとの下位5チームとの試合で1勝2分7敗では、どうすることも出来ない。年間ここまで5勝のチームが、残り3戦全勝出来るわけもない。
文句のない降格。
2年連続で降格圏の順位での降格。
過去に例を見ない完璧な降格である。
コロナ禍で出かけないことに慣れてしまった。
ベガルタのスケジュールを見ないで予定を決めることが増えていった。
株式会社ベガルタ仙台と言う企業を、社会人として信用出来なくなってしまった。
かつて夢を見ていた。
夢は夢のまま終わるのか、それとも夢が叶う日が来るのか。
それが分かるのは、まだ相当先の話のようである。
参考:
ベガルタ仙台 売上/利益/業績推移の決算グラフで経営分析 2021
https:/
Jリーグ公式 クラブ個別経営情報
https:/
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