日常/あれから11年
若干薄まってはいるものの、やはり11年経っても震災当日、そしてそこからのふとした場面はよく覚えている。
特に水道や電気などの公共インフラは、全国各地から応援の人たちが駆け付けてくれた。新潟ユアテック、名古屋水道局など、地域名が入った社用車で被災地まで訪れ、復旧のために尽力していただいたことは感謝の極みである。
しかしながら、2年前の3.11日記から単語が出てくる新型コロナウイルスによる感染症での自粛生活や、今年から急激に悪化したロシアからウクライナへの軍事侵攻などを見ていると、今もし仮にあの時のような大災害が発生しても、なかなか全国各地からの応援と言うのは難しいのではないかと思ってしまう。
例えばボランティア、物やお金の寄付もそうだ。
あれらは現地が心配で余裕があればこそ出来るわけで、生活が困窮してるさなかに出来るものではない。そう考えると、1000年に一度の規模が本物と言うのであれば、まだ989年くらいは来ないでいただきたいものである。
流石に900年以上あれば、感染症も人類同士の争いも、今発生しているものは収まっているでしょう。
当然、また違う危機が迫っている可能性もありますが。
今日も普段通りの1日を過ごすつもりではあったが、あの日と同じく金曜日の3.11で翌日ホームゲームを控えているシチュエーションには、平常心を保とうとしても心がザワついてしまった。
そんな今年の今日でした。
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